Hiroto Kimura
「太鼓なんかきらい」
小学校一年生で和太鼓を始めてから長い間そう思っていた。
自ら興味を持って始めた訳ではなかったし、実際にやってみて楽しいとも思わなかった。
負けず嫌いな性格もあり、できないことを注意されるのが嫌でひどく反発していたのを今でも覚えている。
・・・いつからだろうか、太鼓を打つのが楽しいと思うようになったのは。
思い返せばそれは、ある人物との出会いがあってからだと思う。
広島県にある鬼炎工房。和太鼓総の所有する大桶太鼓の製作を手掛けてくれた工房だ。
その長である故・迫政三氏との出会いは中学1年の夏頃だった。
大太鼓の製作を依頼するため、父と当時の総メンバー数名と共に広島まで出向いた。
当時半ば仕方なく太鼓を続けていた私は、迫氏の和太鼓に対する想い、そして自らの損得など考えず、
職人として太鼓に魂を注ぐ迫氏の人柄を知り大いに感銘を受けた。
今私が演奏で使用している担ぎ桶太鼓は迫氏が私のために魂を込めて製作してくださった物で、
私にとって特別思い入れのある宝物だ。
「優しく、優しく、強く、優しく、強く、強く 音の感情を作って下さい」
桶太鼓と共に届いた手紙に書かれていた言葉だ。
それからというもの、私の和太鼓に対する考えが変わったのだった。
太鼓を打つことが楽しくなった。
今まで以上にステージに立てることが嬉しくなった。
つらい練習も楽しいと思うようになった。
これからも和太鼓で総てを表現するべく精進していこうと思っている。
最後に、私の桶太鼓に刻まれている迫氏の言葉を。
この道 鼓の道 太鼓道
友と歩きし 太鼓道
我を信じて太鼓道